切り立つ岩の屏風のような間や、トンネルを通っているうちに朱塗りの塔の前に出た。これが世に知られた千光寺の鐘楼で、殊に、この鐘の音は有名だ。
「六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなるとすぐゴーンと反響が一つ、また一つ、また一つそれが遠くから帰って来る」と暗夜行路で志賀直哉は書いている。また、林芙美子の「放浪記」にも、
「汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える、山は爽やかな若葉だ」とある。「赤い千光寺の塔」とは、この鐘楼のことである。
俚謡にも
音に名高い千光寺の鐘は
一里聞こえて二里ひびく
というのがある。多くの文人墨客が、情趣を得ている鐘なのだ。
さして大きいとは思えない、どこの寺院にもあるような、ごくありふれた感じのものだが、その音は天下になり響いている。
今でも、夕方の六時から翌朝の六時まで一時間おきに時を告げ、周辺や訪れる人びとに潤いと安らぎをあたえ、詩情を育んでいる。
千光寺から、さらに上へ登るつづら折りの道は「文学のこみち」と称して道の両側の尾道ゆかりの文人たちの「文学碑」がある。林芙美子、志賀直哉はもとより、芭蕉や、十返舎一九まで多彩だ。ただ二十五もある文学碑は多すぎて「まだ、あるのか」と途中で辟易してしまう。
数多い碑文に食傷ぎみになりながら、展望観まで来た。さすが、展望観だけあって、ここからの眺望はすばらしい。この上からは、尾道随一の景観に望むことができる。ここまで来る途中で見たのとは違い、広く、遠くまで見わたせる。
だが、この景色はいわゆる山紫水明による自然美ではなく、人びとの営みによってつくられた造形物なのだ。川のような細長い海の両岸には、ドック、倉庫、船着場、工場、昔ながらに雑然とならぶ人家、これらが一つになって形づくられた人工美である。
ドックからの金属音、車や往来する船舶のエンジンの音、この騒音が人工美に音響効果を添え「いい景色」を演出している。
坂道を降りて行くと、下のほうからお婆さんが上って来たので、近づいてから声をかけた。
「おばさんの家はもっと上のほうですか? 毎日上ったり下ったり大変ですね」
「私はここで生まれて、ここで育ったから、これが当たり前だと思っています。トシをとってからは、いい運動になりますよ」意外な返事だったがもっともな話だった。
「お客さんはどこから、お出でになったの?」
「北海道から」と答えると、「そう、よくまあ遠くから。私たちには北海道は外国みたいなもので、一生、行くこともありませんよ。テレビで見て、北海道はこんな所なんだなァ、と思っているくらいのものですよ。この間も北海道のマリモのテレビを見ましたよ」
二、三日前に阿寒のマリモ祭りの様子をテレビで全国放映していた。
「私はあの近くから来たんですよ」
「そうですか、それではマリモは、いつも食べているんでしょう?あれはどうやって食べたら美味しいんですか?」
「おばさん、あれは食べられないんですよ」
マリモ羊羹を作るんですよ。と言おうかと思ったが、お婆さんが、あまり生真面目に話すので冗談を言う気にはなれなかった。
「お客さん、せっかくここへ来たんですから、菅原道真公の袖を祀ってある神社を見て行きなさい」
『菅原道真が太宰府への途中、尾道を通った。空腹と疲れで休んでいる所へ、近くに住んでいる若い嫁が、握り飯を持って来て食べさせた。道真は大層喜んで、お礼をしたいのだが、今は旅の身で何も有りません。と言って、着ている自分の着物の袖を引き裂いて、お礼のしるし、と若い嫁に差し出した』
お婆さんは、こんな話をしてから、その袖を祀ってある神社を見て行きなさいと言う。それは多分「御袖天満宮」のことだろうと思った。
好意は素直にうけて、せっかくですから行って見ます。と答えてお婆さんと別れた。
道真の話は嘘か本当は分からない。しかし、そんなことはどうでもいい。旅でなければ聞けない話だ。こんな話を聞けるのも旅の楽しみの一つなのだ。お婆さんの写真撮っておけばよかったと、あとで気がついた。 |