上流に向い、絶えず尾ヒレをあやつりながら体のバランスを保っている。こんなに休みなく動いてばかりいると、疲れてしまうのではないかと、鯉に対して大いに同情をしてしまった。
土蔵の対岸が散策路で、そこには柳が数本立っているだけであまり人影も無く、ひっそりと落ち着いた雰囲気をただよわせている。夏の早朝や、夕方の散歩道としてはもってこいのいい所だ。
和ろうそくの三嶋屋
飛騨地方は、技能にすぐれた人々を生む風土でもあるのか、大工、彫刻に多くの名工を輩出してきた。有名な左甚五郎は、この飛騨の生まれだ、ともいう伝説もある。
古川町では、大工ではなく、すぐれた技術で「和ろうそく」を作っている「三嶋屋」を訪ねてみた。
最近、全国的に知られるようになったものに「三嶋屋」で作られる「和ろうそく」と、その技術を継承する重要無形文化財保持者 三嶋武雄さんがいる。いわば飛騨の匠といわれる人だ。
中国から伝わったといわれるこの技術を、江戸時代から二百年にわたり守り続けてきた。その六代目が三嶋さんである。
作家司馬遼太郎の「街道を行く」でテレビ出演したり、雑誌に写真が掲載されたり、種々のメディアを通して紹介され、広く知られるようになった。
店に入ると、表面に大小様々な、ろうそくが並べられ、竹村健一氏など有名人の色紙が多く壁に掲げられている。
左側が二人で作業をするようになっている仕事場で、五十なかばの人が、一人ろうそくを作っている最中だった。
この人は三嶋さんの長男順二さんという人だった。
「いらっしゃいませ、どうぞユックリ見ていって下さい」
三嶋さんらしい人が居ないので、
「テレビによく出る人は居ませんね」
「はい、あれは親父なんですが、トシで余り仕事をしていないんですよ。テレビやマスコミの取材の時にだけ出て来るんです。もう八十七ですからね、今は、私がほとんど一人でやっているんですよ」
箸のように細い、五十センチほどの四本の棒を、各々が接触しないように、指の間にはさんで器用に動かし、溶かしてある蝋を塗って少しずつ太くして、ろうそくを作っていく。それを何遍もくり返しながら、作り方の説明をしてくれた。
写真を撮らせていただいてよろしいですか、と言うと、
「どうぞ、どうぞ、それでは赤いろうそくの方がいいでしょう。赤の方が写真の色が映えるでしょうから」
そう言いながら赤い蝋を溶かしてある器の方へ体の向きを変え、また作業を続けた。
写真を撮り終えてから、しばらくの間、話を聞かせてもらった。
赤いろうそくは、めでたい時、お彼岸、報恩講、五十五回忌以上の法要には使ったほうが良いとか、京都の東本願寺に納入しているとか、白い蝋の原料となる「ハゼの実」が国内では少なくなり、中国から多くを輸入している、という。言われてみると、国産の物はグレーがかっているが、中国産は真っ白く澄んだ綺麗な色をしていた。
主は、後から来た客のために、また説明をはじめた。
テープ・レコーダーを回しているように、先ほど話しくれたことと同じことを、同じ順序で語りだした。
NHK朝の連続ドラマ「さくら」の中での、ろうそくを作る老人のモデルは三嶋武雄さんである。ドラマが放映された時には、六代目はこの世にはなく、子息が七代目を継いだころだった。 |