「そうですね、蛇なんかはどうですか、白い蛇ですよ。青大将なんですが、突然変異で白くなったんですよ」
「せっかくだけれど、北海道からここまで来て蛇を見て帰ってもしょうがないから止めます。
そんなら蛇を食わせる店でもあるんですか?蛇料理専門店なんか」
運転手さん暫く考えてから、
「いや、聞いたことがありません。お客さんは蛇料理がお好きなんですか?」
「いや、見たこともない。蛇がたくさん居るというからそんな店があるかも知れないと思っただけですよ。ところで十年くらい前に、錦帯橋に軽自動車で乗り込んで橋を壊した者がいたでしょう。あれはその後どうなりました?」
「お客さん、よく知ってますね、あの男は、わたしがもと居た会社の後輩なんですが、次の日、すぐクビになりました」
そんな話をしているうちに目差す錦帯橋に着いた。
錦帯橋はまだ新しかった。平成十六年に修理を終えたばかりだという。
岩国の町を、分断して流れるのが錦川である。二分された町を一つに結んでいるのがそれに架かる錦帯橋だ。
延宝元年(一六七三年)錦帯橋は完成した。それから二七六年間風雪に耐えて来たが、昭和二十五年の「キジヤ台風」によって倒壊流失してしまった。「国宝」に指定しようとした矢先のことだった。昭和二十八年再建され、さらに平成の大修理が十六年に行われた。
石垣で囲まれた小島のような橋台の上に、横幅五メートルの半円形に反った太鼓橋が五連乗っている。長さ約二百十メートルに及ぶ。
アーチ型の上へのぼる時に、特に雨の日などは、丸みを帯びている所などは、滑って歩きにくいのではないかと思っていたが、余計な心配は無用だった。そこは、うまくしたもので二十段ほどの階段になっていた。下を見ると、干上った川原では数十人の小学生が写生をしている最中だった。
渇水期なのか水の流れているのは、二百メートルにも及ぶ川幅の三分の一もなかった。この川で鵜飼もあるのだが、それができるような川とは思えないほど、今は水が少ない。深いところでも一メートルに満たないように見えるのだが、橋台の上まで増水して、その太鼓橋を流してしまうなどとは想像がつかないほどな水量だ。
上を見ると、山の頂上に岩国城が、この町を見下ろしているかのようにそびえ立っていた。
小次郎縁の柳
錦帯橋を渡ると左手に「槍倒しの松」にたどり着く。
江戸時代、大名行列が他藩を通行するときには立てている槍を下ろして通るという儀礼があった。岩国が六万石の小藩であるため、大藩は礼を無視して通った。これに腹を立てた藩士たちは、枝の張った松を植え、道に覆いかぶさるようにして、槍を倒させて通行させたという。
その先を少し行くと、この地で生まれた剣豪「佐々木小次郎ゆかりの柳」というのがある。ここで、小次郎は柳とツバメを相手に剣の訓練をかさね「ツバメ返し」の技をあみだしたとされている。
「周防岩国の産です。錦
帯橋の畔へ出て、つばめ
を斬り、柳を斬り、独り
で工夫をやっていました」
小説「宮本武蔵」の中で吉川英治は、小次郎にこのように語らせているのだが、この柳は作中のモデルになったにすぎず、当地の観光ガイドにも「小説に書かれている柳」とだけ記されている。
小次郎が本当に修行した所なのか、どうか、真偽のほどはわからない。しかし、このような見方をすると、すべて名勝は味気ないものになってしまうのではなかろうか。「なるほど、そうか」と素直に見て来た方が、旅の面白さも増幅されるというものだろう。それに、仮想・空想と現実との見境のなくなった人たちが多くなっている今日では、格好の観光資源といえるのではなかろうか。
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